水郷蟹江の祭見物編

こちらでは、須成祭の他、蟹江町内で執り行われている秋祭りなどを紹介しています。詳しくは画像をクリックしてご覧ください。

蟹江祭Ⅰ

蟹江祭です。旧蟹江本町(現城・本町)地区の氏神である蟹江神明社の秋季大祭で、大正14年に刊行された『蟹江神明社昇格記念帳』によれば、元和5年社殿再興から祭典が行われていたようです。『蟹江町史』には、享保2年8月に尾張藩主徳川継友が、この祭りが盛んであると聞き及び、命により名古屋城内へ出向いたとされています。明治中期までは旧8月17日、18日に執り行われていましたが、後に新暦の9月17日、18日に変わり、昭和42年からは9月最終土日に行われるようになりました。なお、不作や経済状態などで、神事のみを行い、余興は行わない年もありました。

蟹江祭Ⅱ

祭の余興(祭屋形)は8地区の各割(町内会)ごとで出され、日曜日の午後、祭前に決められた順番で神社への囃子の奉納が行われます。土曜日の午後や奉納の後は各々ので地区を巡行します。囃子は締太鼓と笛を中心に鉦や鋲打ち太鼓、三味線も加わるもので、「道行き」「戻り囃子」という曲があり、場面に合わせて演奏されます。かつては「道踊り」が披露され、祭余興の花形でしたが、昭和50年代以降、行われなくなりました。平成に入り、一部の町内会で道踊りの披露を行うところも出てきました。

蟹江祭Ⅲ

蟹江祭の宵祭です。かつては屋形に提灯を飾り付け、宵祭りの巡行もあったようですが、現在は行われていません。蟹江神明社周辺には、多くの夜店が並び、拝殿では、海東流神楽太鼓保存会による曲打ち太鼓が奉納され、まだまだ賑わいがある光景が見られます。

蟹江新町日吉神楽

蟹江新町神楽屋形です。蟹江新町区日吉神社の秋季大祭で、蟹江祭と同じ日程で執り行われ、神楽巡行の際には必ず蟹江神明社への奉納も行うことになっています。祭の起源は定かではありませんが、金箔神楽屋形に文政10年、白木神楽屋形には文政8年製作の銘があり、江戸時代後期には、現在の形態になったようです。金箔屋形は、製作当時白木でしたが、嘉永7年に金箔が施されたようです。白木屋形も明治の修理の際に金箔を施す予定でしたが、彫刻の見事さが損なわれる理由から取りやめたと伝えれれています。巡行は高張提灯を先頭に、猩々旗、宰領2名、羽織番3名、金箔神楽屋形、白木神楽屋形、笹神楽屋形の順で行列し、笛の演奏に合わせて細長い竹撥で太鼓を叩き囃子を奉納するものです。

今地区神楽

今地区の神楽屋形です。三明神社の秋季大祭で、蟹江祭と同じく9月最終土日に執り行われています。金箔神楽屋形に太鼓と締太鼓を積み。笛の演奏に合わせて竹撥で太鼓を叩きながら地区を巡行します。現存する神楽屋形は、明治12年製作のもので、享保2年に近隣の地域の祭とともに名古屋城に招致されたとの記録もあり、少なくともその頃には祭が執り行われていたようです。かつては、道踊りなども盛大に行われていたようです。長らく祭余興が中断しましたが、平成の神楽修理を契機に今神楽保存会を結成し、海東流神楽保存会の指導を受けて神楽巡行が復活し、現在に至っています。

舟入地区神楽

舟入地区の舟入神明社秋季例祭の神楽巡行です。かつては、蟹江祭と同じ日程で開催され、蟹江神明社まで奉納されていたようです。現在は10月第1土日に開催されています。現在使用されている神楽屋形は明治21年頃に製作されたもので、かつては舟入地区には東部で1基、中部で1基の合計2基の神楽屋形を所有していましたが、昭和20年の空襲により東部の屋形は焼失しました。近年は神楽屋形の前に仮装した人々が参加したり、かつての道踊りを再現するなど年々盛り上がっています。

西大海用地区神楽

蟹江新田西大海用地区、神明社の秋季大祭で、現在10月第1土日に開催されています。神楽屋形は、大正6年に神明社が当地に遷宮された時に購入したものが長らく使用されていましたが、老朽化が著しく、平成14年に新調したものを使用しています。かつては、海西流神楽太鼓が伝わっていたようですが、尾張新次郎太鼓の指導を受けて伝承活動が行われるようになり、現在は西大海用神楽太鼓保存会独自で活発に伝承活動を行っています。他地区と同様の神楽屋形太鼓構成で行われますが、神明社境内に舞台を設け、曲太鼓の演奏や巫女の舞が披露される特徴があります。数年前までは、一時途絶えた獅子舞を復活し、奉納も行われてきましたが、現在は再び行われなくなりました。

蟹江町民まつり神楽巡行

毎年10月第2日曜日午前中の「蟹江町民まつり」会場には、町内の神楽屋形が一堂に勢揃いします。

火渡り神事

今地区「火渡り神事」です。この祭事は、秋葉三尺坊で執り行われ、明治13年に観音寺境内に坊が安置され、その年の旧1月16日に祭典を行ったのが始まりとされています。その後神仏分離に従い、明治16年坊は観音寺本堂から出されて本堂西に神殿が建てられて、現在の場所で行わるようになりました。当日は、神殿前の広場周辺に結界が張られ、薪を敷かれます。午後7時頃、熱田の御嶽講行者により祈祷が行われた後に薪に火が放たれ燃え上がると、行者が御幣を持って炎の中を渡り、続いて区役員、参列者が火渡りを行うものです。この火渡り神事は隔年で行われ、火渡りが行われない年には、火にかけた釜が鳴るかどうかで吉兆や豊凶を占う「釜鳴り神事」が行われます。